2011年6月10日金曜日

加藤栄作と世界金融危機とはなんなのか

加藤栄作です、お久しぶりです皆さん
今日のブログは世界金融危機とはなんなのかということなので、世界金融危機とはなんなのか調べて見ました。

世界金融危機(せかいきんゆうきき)は、サブプライムローン問題(サブプライム住宅ローン危機)を切っ掛けに、2007年のアメリカの住宅バブル崩壊に端を発し、現在に至るまで続いている国際的な金融危機のことである。これを発端とした経済不況の世界的連鎖は世界同時不況とも呼ばれる。
2008年9月29日にアメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案を一旦否決したのを機に、ニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価は史上最大の777ドルの暴落を記録した[1]。金融危機はヨーロッパを中心に各国に連鎖的に広がり、さらに10月6日から10日まではまさに暗黒の一週間[2]とも呼べる株価の暴落が発生し、世界規模の恐慌への発展が危惧されている。日本でも日経平均株価が暴落したほか、生命保険会社の大和生命保険が破綻した。
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは2009年1月に、生産、金融、消費の世界的な縮小状況について「これは実に第二次世界恐慌(a second Great Depression)の始まりのように思われる」と評した[3]。また、国際通貨基金(IMF)のドミニク・ストロス・カーン専務理事は2009年2月に非公式のコメントとして「(日本を含む先進各国は)既に恐慌(depression)の状態にある」と述べた[4]。
2000年にITバブルが崩壊し、インターネット・情報技術関連企業の上場が多い米国NASDAQ市場は大暴落を見せ[5]、その影響から2001年4-6月期からは米国GDPが3四半期連続のマイナス成長となり、失業率も増加の一途をたどり、米財政赤字は拡大を続け、米国経済は停滞していた。米国政府は経済対策として大規模所得減税を実施し、FRBは2000年末から利下げをくり返していた。
その中で2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生した。被害に遭ったワールドトレードセンターには多くの金融機関が入居していたことから業務の遂行に支障を来す恐れがあると判断したニューヨーク証券取引市場は太平洋戦争以来の市場閉鎖を行い、4日間休場した。
既にFRBは年初から7回利下げを実施していたが、事件後の9月17日に緊急利下げをおこない、12月までにさらに4回の利下げを実施して、本格的金融緩和政策を鮮明とした。この結果、2001年FRBの政策金利は誘導目標を年初の6.5%から12月の1.75%まで引き下げを行い、米国金融史上で最も低い低金利政策となった[7][8]。 最終的には2004年5月まで1%という低金利政策が続いた[8]。この低金利政策は当初は正当視されていたものの、その後、不動産、住宅、債券などの資産バブルが明らかになると、ITバブル崩壊後の行き過ぎた低金利政策が資産バブルの温床となったとして批判の的となった[9]。
BRICsを中心とした途上国の経済発展を背景に、エネルギー需要、食料需要などの資源需要の高まりにより、原油価格の上昇も加速された。産油国は莫大な利益を上げ、その利益はヨーロッパや米国のヘッジファンドなどの金融部門へと流れ、結果世界的な金余り現象が発生する。また新興経済発展諸国の外貨準備高も増加し、その資金運用が米国に向かい、世界的な資金がアメリカ合衆国に集中するようになった。これが米ドル高となり、米国国内に流入した過剰流動資金が米国不動産市場にも流れてサブプライムローンに代表される住宅バブルを構築する土壌ともなった。
またイラク戦争において、これまで非公式に輸出されていた世界第2位の埋蔵量を誇ったイラクの原油輸出が不可能となり、原油をはじめとした商品(先物)市場を通じた資源投機に拍車をかける材料となった。資源価格が上昇したと共に、豪ドルやカナダドルに代表される資源国通貨も全面高となった。OPEC非加盟国であったロシアは原油価格の高騰で採算に難があった北極油田の採掘が可能となり、サウジアラビアを抜いて世界一の産油国となり、原油の輸出により、これまでの債務国から債権国に転じた。
原油取引は米ドル決済で行われていることから当初は基軸通貨として安定した米ドルでの取引においては産油国の量的な規制は緩やかなものであったが、高騰する原油価格によって、世界経済全体ではエネルギー価格や資源価格の上昇から、インフレーションの懸念や代替燃料としてバイオマスエタノール等の開発が促進されたことで家畜飼料となる穀物価格が上昇して食料危機の兆候が出始めた。各国はインフレ警戒感から金融引き締めに転じ、米国との金利格差が生じることになったことや、イラク戦争当時指導者であったサッダーム・フセイン大統領が2006年12月30日に処刑されたことから、イラクの政情安定の見通しが拡がり、翌2007年から為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、米ドルは下落に転じるようになった。
元々、双子の赤字と言われる財政赤字と経常収支赤字を抱える米国経済にとって、それまでの米ドルの高騰は砂上の楼閣のような存在であり、戦費の出費は米国連邦政府の財政を蝕んでいた。米ドルの下落が進んだことで、米ドル決済で行う原油取引において原油売却代金の実質収入が減少に転じ、その対策からOPEC非加盟国であるロシアや中南米諸国は原油の量的規制を強化して価格の一段の上昇を図った。これにより新興経済発展諸国の経済成長による実需の増加や折からの商品市況への投機熱も相まって原油価格は2008年7月には147.27ドル/バレル(WTI先物)まで上昇した[10][11]。産油国では余剰利益の資金滞留が起こり、資金の循環が進まず、また、各国の金融引き締めから景気の鈍化が起こり、世界経済の停滞が始まった。
米国では2004年6月30日のFOMCから政策金利の引き上げに転じ、また住宅価格の伸びが停滞しはじめた2006年頃からサブプライムローンの借り手の破綻が話題になり始めた。2004年-2006年にかけて米国では住宅ブームが生じ、金利が安いあいだに低利の2段階変額ローンにより募集された不動産担保ローンが大量に組成された。これは最初の3年は低利固定型の返済で残金は4年目以降に変額型金利ローンとなる契約のものが中心で、住宅価格が上昇する間は短期で住宅を転売することにより有利に住宅を購入でき、あるいは転売益が期待できるというものであった。また値上がりによる担保価値の上昇分を担保にさらにクレジットローンを提供するサービスなども登場し、少なからぬ利用者が住宅価格の上昇の恩恵を受けた。この住宅ローンの個別債権は証券化(不動産担保証券:MBS)され高利回りの金融商品として世界各国に販売された。MBSの販売には格付け機関が信用力の調査情報を提供し、貸し倒れに対する保証としてはクレジットデリバティブ(債務担保証券:CDOやクレジット・デフォルト・スワップ:CDS)などの金融商品が利用された。
このローンは借り換え期の4年目以降に急激に金利が上昇する設計となっているため当初からその危険性は指摘されていたが、住宅価格が上昇する局面ではその警鐘はかき消される格好となり、住宅価格[12]かげりが見え始めた2006年1月頃(ちょうどブーム3年目にかかる)から不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めた。

世界的な金融危機の発端は、米国の住宅市場を舞台としたサブプライムローン(信用力の低い債務者向けの貸し付け)問題です。住宅価格は上がり続けるという「住宅神話」を前提に、高リスクの借り手に対して金融機関が過剰に貸し込み、2006年後半以降の住宅バブル崩壊で不良債権化し始めた。当初2年は低利固定、3年目から高利変動という金利条件が多かったため、2年後の「金利リセット」到来とともに返済不能に陥る債務者が急増。担保価値上昇による低利借り換えを狙った借り手のもくろみはあっけなく外れました。
これだけの問題なら、日本のバブル崩壊後と同様、国内の不良債権問題として片付けることもできましたが、問題はかつてないほどグローバル化し、拡大・複雑化していました。その要因となったのが「証券化」です。サブプライムローンの大半を買い取ったウォール街の巨大銀行や証券会社は、これらを束にして証券化し、欧米はじめ世界の金融機関や機関投資家へ売りまくった。サブプライム関連商品のリスクに対し、投資家も巨大銀行もローンを組成する地域金融機関もみんな鈍感になり、安易かつ無謀な拡大再生産を続けました。そして住宅バブルがはじけると証券化商品の価値は大きく劣化、影響は全世界へ伝播しました。
要は共倒れしていって金融危機が起こったということなんですよね。
これは最近だと回復してきている国もありますが、まだ不安定な国や回復が遅い国もあるので、問題の解決には当分時間がかかるようです。

それでは次回また会いましょう皆さんさようなら~
45ミニッツで世界金融危機を学ぼう!